「あるがまま」が一番
たかのす自治会長として、また連合自治会長として、住民同士や行政との間を親分肌の気きぷっ風で取り持つ齊藤晴通さん。元気フォーラムなどのまちづくりやプレイパークなどの子育てを支
える取り組みをいつも温かく応援し、多くの人から親しみを込めて「連長さん」と呼ばれるそのお人柄を知りたくて、お話を伺いました。
――自治会活動を始められたきっかけは?
勤めをやめた72歳まで、自治会には興味がなかった。たかのす自治会の役員が回ってきて副会長になったのが平成24年。翌年、ご縁があって会長を引き受けることに。僕は自治会の役員には向かないタイプ。もともと人付き合いが苦手、言いたい放題、イベントが嫌い。特に祭りが(笑)。だけど、あんなに大勢の人が家族連れで来て、楽しんでる様子を見ると、大変だけど自治会でやらなきゃ、やったほうがいいなと思いますね。7年しか自治会長やっていないけれど、それでも「あの人に頼まれたらやろうかな」という人たちがいる、これが最高の財産だと思っています。
―― 齊藤さんにとって港南台ってどんな街ですか?
港南台というのは本当にいいところなんです。こんなにいいところ、なかなかない。もっと良くしていきたい。
これからの自治会が直面している大きな問題が「高齢化対策」だと思う。高齢者の人が死ぬまで住み慣れた自分の家に住めるように、みんなが少しずつ助け合う。役所の手の届かない部分でそういう仕組みを作っていくのが課題だと思う。
僕が考えるのは「今日買い物に行きたいんだけどだれか付いていってくれない?」と電話すると事務局が探してくれる、そんな仕組み。僕は近所の一人暮らしのばあちゃんにはね、「どんなことでもいい、困ったら電話してくれ。どんな夜中でもすぐすっ飛んでいくから」って言ってある。
―― お若い頃の齊藤さんについてお聞かせいただけますか?
高校の頃からしばらく精神的につらい時期があり、勧められて訪れた臨済宗のお寺で仏教と出会った。そこで『歎異抄』を読んで人が生きるということについて、親鸞の言葉に思いを強くした。
自分の辛さは『かくあるべし』から始まっていたけれど、親鸞の信仰はひとことで言って『あるがまま』なのだということが、60年歎異抄を読み続けてたどり着いた結論です。
―― ボランティアや自治会活動。その熱意の源は何ですか?
親鸞は「ろくでもないけど、死ぬのがおっかないから仕方無しに生きてる」と言う。僕もろくでもないんです。だれかが困ってたら僕ができることは何かしてあげたいな、と。ただそれだけ。結局、人の幸福というのは誰かのために役立っているという、その充実感で
しかありえないと思っている。僕が仏教を知ってよかったと思うのは、自分がどうしようもない人間だということがわかることが幸せなんだと教わったこと。
僕は今最高に幸せなんです。楽しくてしょうがない。銭もないしいつ死ぬかわからんですよ。でも楽しくて仕方がない。なぜか。あるがままだから。人の価値はただ生きていることだ、と思ってます。生きているだけで女房と娘が喜んでくれるならそれだけで十分です。
―― 何かあったら駆けつける、とか学習ボランティアとか、人のために役立つことを色々とやっていらっしゃるんですね。
だって顔見知りのばあちゃんに手伝って、って言われて、楽しいじゃん。人のためになろうと思ってはいない。マザーテレサという人は自分を犠牲にして、生涯を貧しい人たちのために尽くしたというが、僕に言わせりゃあ、二十歳前後で「誰かを助けることが楽しい」って気づいた彼女がすごい。僕なんかそれがわかるのに70年かかりました。
―― 御年84歳。語り口は明晰、その記憶の正確さに驚く。そして、仏教に基づく揺るぎない価値観。ご自分を「放言の齊藤」と称してこき下ろし、笑いながら、ずばりと核心を突く。大きな苦しみを抜けてたどり着いた「あるがままでいい」「生きているだけで価値がある」は、倫理や道徳の教科書の文字とは違う強さで心に迫ってきた。
子どもの頃は一緒に過ごす時間の少なかった娘さんが、今もそばに住み、「最高に尊敬して感謝している、どんなことがあっても面倒をみる」とおっしゃっているそうだ。誰もが進んで手を挙げるわけではない仕事。様々な意見をまとめる大変さ、そして、困っている人を放っておけない優しさ、ご家族には伝わっているのだと思う。
齊藤さんの目指す助け合いの仕組みづくり、もっと広く伝わっていくといい。「だって楽しいじゃん」と笑いながら誰かが誰かを助ける社会が実現するといい。
レポート◎岡野 富茂子/斉藤 保/塩崎 水映子
文◎塩崎 水映子
撮影◎斉藤 保
取材日◎ 2019年8月9日